麦畑飛魚の日記

麦畑飛魚(むぎばたけとびうお)の日記です。

2015年10月

ぐいぐぐいぐ。

月穂が
おっぱいや
ミルクを
ごくごく飲んでいる。

とてもおいしそうに飲む。

ありがたいことだ。

かと思うと
脳髄に響くぐらい
ギャンギャン泣く。

おむつも替えたし
ミルクもあげたし
となると
やはり
エンターテイメントか。

ということで、
いろいろと話かけたり、
だっこして
部屋を歩きまわったり
してみた。

すると、少しの間、
「?」といった、首をかしげたような
なんだか不思議な顔を
して泣きやむ。

このおっさんは
何をやっているのだろう?
ということに気をとられて
泣くという仕事を忘れてしまうのかもしれない。

夜あまり
眠れないので、
昼寝たりして
調節している。

わわわ。

徹夜のような状態であったので
霧がかかったような
ふわふわした状態になる。

しかし、今日は
出生届けを出しに行くという
役目があるので、
眠い目をこすって
練馬区役所へいった。

ずいぶんフワフワの
状態ではあったが、
名前の欄には

月穂

と書いてきた。

これで、正式に
名前も決まった。

あとは
わいわいするのみ。

と思って家に帰ったが、
やはり、ギャンギャン泣いている。

わいわい
ボール遊びとかできるのは
いつ頃になるのだろうか。

おしおさんに
月穂をみてもらって
少し眠る。

ミルクをあげたり
おむつを替えたり。

夜は昨日よりは
少し眠れた。

退院。3人生活。

職場に言って
1週間休みをもらった。

朝、病院へ
妻と月穂を向かえに行く。

出産費用の支払い等の
もろもろの手続きを終え、
タクシーを拾って、家に帰る。

タクシーに乗ってしまえば
家まで10分ほど。

家に着いた。

月穂は
いきなりわけのわからないところ
つれてこられたからか
わんわん泣いている。

おっぱいをあげる。
ミルクをあげる。
おむつを替える。

眠ったり、
起きたり、
わんわん泣いたり。

そうしているうちに
妻の母親、
つまり月穂にとって
おばあちゃん到着。

ご飯を食べたりした。

また、妹も来てくれて
お祝いした。

月穂はまだ目があまり
あかない。

夜になって、
妻の家族がみんな帰って
いよいよ
三人の生活が始まった。

ギャンギャン泣いたかと
思うと眠ったり。

眠ったかと思うと
また起きて泣いたり。

約30分〜1時間おきに
寝たり起きたりを
繰り返している感じ。

そんなわけで
この夜は
ほとんど眠れなかった。

主に子供の世話を
していた
おしおさんは
もっと眠れなかったと思う。

眠り。

と書きたいところだが、

そんなに
眠っていないので
正確ではない。

少し眠り。

面会。仕事。

面会。

月穂は病院のお風呂に
いれてもらっているとのこと。

いよいよ明日退院だ。
などと話。

夕方。

残りの仕事を片付けに
渋谷の職場へ行く。

23時頃家に戻る。

眠り。

面会。

休み。

面会。

子供をみる。

すやすやと眠っていた。

予定通り月曜日には
退院できるとのこと。

眠り。

金曜日。

仕事。

会社の飲み会に参加。

眠り。

だんだんだだん。

仕事。

妻と子供は病院。
妻から病院での様子が送られてくる。
早速授乳が始まったとのこと。

22時ごろまで仕事。

まぁ、どうにかこうにか
やっていきたい。

眠り。

がらんが。

仕事。

妻と子供は病院。

22時ぐらいまで
やっていて
ぐらぐらになったな。

俺が体調を
崩さないようにしなければ。

眠り。

お月さんの月に稲穂の穂。

第一部:破水から病院まで

午前、4時。

おしおさんが
がっと飛び起きて、

「はっ、なんか出てる。
 お湯的なものが出てる」

とかなんとか言ったと思う。

時間が時間だけに少し眠かったが、
不思議と三連休ゆっくりしていたせいか
すっと起きることができた。

おしおさん
トイレにいって確かめる。

間違いないとのこと。

病院に電話し、
その上で、登録しておいた
妊婦専用タクシーを呼ぶ。
まだ陣痛は始まっていない。

入院セットや
必要な書類なんかを一式持って病院へ。

4時30分頃到着。

いろいろ事情を説明。
間違いなく、破水しており、
入院となるとのこと。

部屋が用意される。

先生がくる。
順調にいけば、この後、
24時間以内に陣痛が始まると
思うが、24時間たっても
陣痛が始まらなかったら、陣痛が起こるように
処置をするとのことだった。

もともといろいろ準備をしていたこともあって
本人はこの時点では、結構平気そうにしていた。

とりあえず、コンビニで
軽食と飲み物などを買ってきて、部屋に置いた。

看護士さんに確認したところ、
この後、ものすごく順調にいっても
今日の夕方か、または夜とのことであった。

午前中だけ会社に行くことにした。

7時30分ごろ病院を後にする。

いったん家に戻って
背広に着替え、会社へ向かった。


第二部:出産

会議を終えて、携帯電話を
見ると妻から着信があることに気がついた。

場所を変えて、掛けなおそうとすると
そのタイミングでもう一度妻から
連絡があり、電話に出た。

どうも、強烈な陣痛がきているらしく、
かなり苦しい状況であるとのこと。
また、看護士さんも身内の人がいる場合、
もう呼んでも良い状態であると言っていたとのこと。

上司に状況を話し、
すぐに病院に向かう。

13時30分ごろ、病院に到着。

部屋に案内される。

「う゛ー、う゛ー」と
聞いたこともないような
うめき声を上げて苦しむ妻。

陣痛がよっぽど痛いらしい。

何かできることは
ないかと考えたけど
手伝ってあげられるようなことは
これといって何もなく、とりあえず、
看護士さんに言われたとおり
背中をさすって声をかけた。

陣痛の感覚が
とても短い。

苦しい時間が2分〜3分ぐらい続くのに対し、
楽になるのが
10秒〜20秒ぐらいといった感じ。

20分から30分おきに
看護士さんが様子を見にくる。
絶対にまだいきまないで下さいとのこと。

2時間ぐらい、そんな状態が続き、
いよいよ出口がひらいてきているので
分娩室に移るということになった。

少し動くだけでも
苦しそうなのに、移動なんか
できるのだろうかと思ったが、
妻も次の段階に移れるということで
ここぞとばかりに気合を入れて、
すぐ近くの分娩室に移動した。

立会いのできる
病院であったため、
私も上に一枚服を着て
分娩室に入った。

分娩室に入っても
まだいきんではいけない。
痛みを逃してくださいと言われる。

しかし、子供は出たがっているし
妻も出したがっている。

そこで、私に
いきんで良いといわれるその時がくるまで、
テニスボールを股間に当てて
押し戻すという役目が任命された。

特に役目がなかった私は
ここぞとばかりにテニスボールを押す。
結構強めに押してもよいということ
だったので、やや強めに押してみた。

しかし、
妻は絶叫した。

押してぇー。
もっと押してぇーー。
出てくるから押してくれぇー。

というわけで

結構全力で押した。
ぐいぐい押した。

そうすると少し楽になるらしい。
不思議なものだ。

そうこうしている間に
いよいよ、いきんで良いということになった。

俺のテニスボールの役目も
これで終わりだ。

後は病院から借りた
小さいジョウロのようなもので
たまにお茶をあげる役目というのしかなくなった。

まぁ、いい。
そんなことはいい。

いよいよ、いきむ。

「はい、もう全力でいきんでくださいー」
と看護士さんも言う。

妻もいよいよこの時が来たかとばかり、
ぐーっと力を入れる。

2、3度いきむ、
休む、を繰り返していると
頭が少し見えてきたとのこと。

俺も何度か繰り返し、
小さいジョウロみたいなやつで
お茶をあげるという役目を
やっていると、
看護士さんが、先生を呼んだ。

看護士さんが言うには
先生が来て、処置を行なうと、
次のいきみで必ず出てくるとのことであった。

少し待っていると
朝、話しをしたあの先生がやってきて、
状況を確認した後、
はさみのようなもので、
出口の部分を少し切った。

そして次の瞬間。

血まみれの人間が
股の中から、勢い良くでてきた。

看護士さんが
ゆっくり血をぬぐって
妻のお腹の上においてくれた。

妻の顔をみる。
ほっとしたような顔をしていた。

おめでとうございます。
かなにか
言われたかと思うが
よく覚えていない。

とにかく人間がひとり生まれた。
3030グラムの女の子だ。

生まれた時間は15時56分。

秋に生まれたことにちなんで
月穂という名前をつけた。

生きてると
いろんなことがあるけど
とにかく健康で、
元気に育っていってほしい。

三連休最終日。

三連休最終日。

まだ
おしおさん元気。

くる気配なし。

夕方、
新江古田駅の近くの
ロイヤルホストまで
歩いていく。

30分ぐらいかけて
ゆっくり歩く。

ご飯を食べる。

ゆっくり歩いて帰る。

どうも、この3連休中には
こなさそうだなどと
話をしながら。

家に着く。
少し話しをして眠り。
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プロフィール

麦畑飛魚(むぎばたけとびうお)

文章を書くことと歌をうたうことが好きです。お問い合わせはmugitobi@gmail.comまでお願いします。

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